みなさんどうも、はじめまして。ふぁてぃまといいます。
かれこれ、この10年、オーストラリアのメルボルンに住んでおります。
メルボルンでお会いする日本人の方々は、留学であったり、ワーキングホリデーであったり、みなさん高い志しがあってオーストラリア大陸を目指してきた方が多いようですが、私はというと、不時着、でしょうか。とりあえず、オーストラリア大陸を目指してやってきたわけではないので、私には高い志しや、すごい英語力なぞは皆無。
若かりし頃に、私にも愛だ、恋だ、がありまして、そしてたまたまその時のお相手の方がオーストラリア人であったため、何の前情報もなく、ただただくっついて南半球まで来てしまった、のが始まりです。
オーストラリアに暮らす、多種多様な人々
でもでもふぁてぃまさん、オーストラリア人のダーリンって、ロマンチックで、毎日のように「ベイビー、今日も君はびゅぅぅぅーちふるだ」と言ってくれて、何でもない日に花束をプレゼントしてくれて、毎日が甘いサプライズに包まれているんでしょ!うふっ💛と思いました?
えっと、お相手はたしかにメルボルン生まれ、メルボルン育ちのオーストラリア人だったのですが、彼の両親は1960年代に船でオーストラリアにやってきたエジプトからの移民なので、つまり彼は見た目、普通にエジプト人。民族系統的にもエジプト人。彼と両親の会話はアラビア語。夕飯の人気メニューはエジプト風そばめしのコシャリ。コアラもカンガルーも関係ない、ファラオの末裔たちだったんです。
オーストラリアって他民族国家だっていいますけど、これはほんとです。メルボルンの中心地に関して言えば、道を歩いていても、いわゆる白人とすれ違うよりも、中国人やその他のアジア人とすれ違う方がよっぽど多くって、北京やムンバイを歩いている感じです。
4年に1回、オーストラリアでは国勢調査が行われるんですけど、直近の2021年に行われた調査の結果では、人口の28パーセントがオーストラリア以外の海外で生まれた人たち、そして人口の22パーセントの人たちが家で英語以外の言語を使っている、との結果で、新旧あわせて移民が多い国なのです。私も日本語、英語、アラビア語の3か国語でうちの猫には話しかけますから、22パーセントの中にしっかりと入っております。
アラビア語を身につけ、どっぷりとアラブの世界へ
そう、そして、私はアラビア語を話します。これまた若かりし頃に、東京で2年間、ガチで勉強をしたんです。今では猫にアラビア語で語りかけるくらいですが、日本にいた頃は中東やアフリカを専門にした旅行の手配をする会社で働いていたので、これでもまぁなかなか重宝されていたんです。「どうしても明日までにお客さんのビザが下りないと旅行に参加が出来ない、なんとかしてくれ!」というときは、大使に直接 電話をし、アラブ人たちがするように、ながながと世間話を続け、最後にゴマをゴリゴリとすって、何とかビザの発行をしてもらう。アラブの石油王と日本向けの石油の輸出量についてアラビア語で交渉をする、とかそんな高尚な使い方ではなく、いたって庶民的な、しかし有効なアラビア語での世間話を仕事では展開していました。
そして旅行業に従事していたので、中東、アフリカを中心に、世界中のコアなところに行く機会も多くいただき、またイスラムの世界をはじめとした世界各国の文化や宗教などにどっぷりとはまっていたんです。
飾らない本当のふぁてぃまとは?
というわけで、ふぁてぃまさんのプロフィールを文字だけで見ると、今どきの港区女子とでもいうのでしょうか、港区広尾に生を受け、大学卒業後、旅行会社に就職し、海外添乗も含め旅行業の仕事に魅せられる。2012年オーストラリアに渡りメルボルンに10年在住、今に至る。抜粋するとなんか私の人生、キラキラしちゃっているでしょう。
しかし、実際のふぁてぃまさんのプロフィールと言えば、こんな感じ。
港区広尾に生を受け、幼稚園の時に行ってみたいと思っていた国は、南アフリカとイスラエルとネパール。高校2年の時に念願かなって南アフリカとジンバブエに行き、どこまでもトタン屋根の広がる黒人の居住区を見て白人の居住区との差にショックを受け、またマンデラが選挙で大統領になることが決まった黒人たちの大きな希望に感銘を受け、人道支援や開発援助の道に進みたいと確信し、大学へ進む。卒業後はユニークな地域を扱う旅行会社に入社をし、なかなかニッチな国や地域への添乗も経験。2年間のアラビア語の学生を経て、アフリカ、中東の専門の手配会社に就職。そして2012年エジプト系オーストラリア人にそそのかされメルボルンへ不時着。現在、他民族国家のメルボルンでは日々、様々な人種の人たちとふれあい、最近では必要に駆られてペルシャ語の勉強を始める。
と、まぁ、キラキラ感一切なし、ステレオタイプなプロフィールがガラガラと音を立てて崩れますよね。でもこれが私なんです。
TiffinのようなWackyな私
そして、このブログのタイトルにあるティフィンとは何ぞや、とお思いですよね。ティフィンはインドやネパールではもともとは軽食、のような意味だったようですが、現在ではティフィンと言えば、インドのお弁当、とでもいいましょうか。ステンレスなどで何重にも重ねることが出来るお弁当箱の中に、カレーやチャパティやレンズ豆などを詰めて、お弁当として持って行ったり、仕出し弁当のように注文すると出前として会社や学校まで届けてくれるなんてサービスもあります。
このお重箱のように重なったティフィンは、私のちょっと多文化な多岐にわたる興味や日々の生活などのメタファーとしてぴったりだなと思ったりしたんです。
ちなみにwackyは奇妙な、というような英語ですが、私のちょっと一筋縄ではいかないキャラクターをうまく言い表す形容詞として使ってみました。
徒然なるままに私という人物について書いてみましたが、もちろん1度では不思議で妖艶な私という人間性や暮らしぶりをお伝えすることは難しいので、徐々につまびらかにしていこうと思います。
最後に、今日のブログのタイトル、The dogs bark, but the caravan goes on、犬は吠えるがキャラバンは進む、アラブのことわざですが、世の中の人が何を言おうが、立ち止まることなく我が道を行く、というまさに私の人生を語るときにしっくりくることわざなので、第1夜のタイトルにしました。
では、次回以降のブログをお楽しみに。アッサラームアレイクム。みなさまの上に平安がありますように。